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Essay:箸やすめコーナー・各界の方の連載エッセイです。

地の塩食菜くらぶエッセイ 河上民雄/江戸町人の食文化
江戸町人の食文化
江戸町人の食文化          河上民雄

 銀座七丁目に天国(てんくに)という天ぷら屋があるが、かつては小さな運河を隔てて天国と橋善(はしぜん)という天ぷら屋が競うように建っていた。江戸っ子は、うちは天国、うちは橋善という風に自慢しあう気風があって、互いに浮気することはなかった。我が家は天国派であった。戦後、この辺りは焼野が原から復興して、同じように天国と橋善は小さな運河を挟んで並んでいたが、結局、今は天国だけが残っている。
 私の父丈太郎は戦後よく天国に若い人を伴って食べに出かけていた。父は店に入ると、左手の奥に自分なりの指定席を持っていたが、たまたま父がひとりで店で食事をする場に居合わせた東京工業大学の芳賀綏名誉教授は、同席している人の視線に恥ずかしげに勘定をすませて店を出ていく父の姿に深い印象を受けて、のちに見事な人物論を展開されている(『昭和人物スケッチ』清流出版)。
 戦前、父は大晦日には私を伴い、青山墓地に墓参ののち、天国の向かいにある佃煮の玉木屋で切山椒(きりざんしょ)を求めて当時住んでいた新橋の自宅に帰るのが決まったコースであった。
 江戸の下町では町人の間にどこそこの御用達ではなく、心意気のような、町人が支える食文化があったのである。勝海舟は『氷川清話』で幕府が滅びた時、徳川に義理立てして店を閉めるという和菓子屋に向かって、江戸の市民が求めている限り商売を続けるようにと説き、掲額の書を与えて励ましている。その店は、今も本郷三丁目駅(地下鉄丸ノ内線)から消防局のあるあたりに進み、道を隔てたところにある「壺屋」である。「壺屋」の御当主十七代は、江戸時代の製法を守り続け、今もこの額を掲げている。昔ならどこにでもあった駄菓子屋風の店の佇まいはこの物語をよく伝えている。父の頃までは、江戸の町人の食文化が息づいていたことを懐かしく思い出す。
 私の父の父・河上新太郎は嘉永六年生まれで、15歳から大工となり、明治20年代にクリスチャンになる。社会問題に関心を持ち、非行少年の更生のための東京家庭学校の設立に大工の腕を生かし、中心的な役割を果たしている。偏屈なところがあり、赤坂の西洋食店・精養軒に大工姿で入り、店員から、ここは正装でなければいかぬと断られると、私は大工で、これが大工の正装だと主張、食事を食べることに成功する。それ以来、西洋食店といえば精養軒となった。今の上野の東京文化会館の二階にある精養軒は赤坂の精養軒の筈。
 ある時キリスト教の集まりで、有名な内村鑑三先生の隣に坐ったが、向うが声をかけてこなかったので、こちらも声をかけてやらなかったというのが、わが家に伝えられる新太郎の自慢話のひとつである。(了)

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